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2014年7月

2014年7月27日 (日)

ナリワイ

前回「急に売れ始めるにはワケがある」について書いてから、ちょっと考えてしまいました。実は、自分も普段から誰かが作った背景力に左右されているのではないだろうかと。というのも、社蓄という単語を先日初めて目にして、うまいこと言うなぁと感心したりしたのですが、ひょっとしたら自分も?と思ったりしたわけです。

これでいいのかなぁ、という漠然とした疑問がこころの中に芽生えてきて、こんな本を手にしてみました。「ナリワイをつくる」 副題は人生を盗まれない働き方です。この本の中にはいろいろな問題提起がありますが、自分の日頃の考え方というか判断基準というか、そういった視点でこの問題提起を自分に当てはめてみると、恐らくその根源は「老後への不安」なのかなと。

社会保障、特に年金の問題や、低成長時代や高齢化や少子化など、テレビや新聞、雑誌、インターネットなどで毎日のように取り上げられています。これらのメッセージは強力な背景力となって自分達の判断や行動に大きな影響を与えているのではないだろうかって思うわけです。私は朝日新聞を購読していますが、不安な気持ちにする記事が多いような印象を持ちます。案外、自分がそういった記事を選択的に読んでいるのかもしれませんが。。。まずい循環ですね。

不安は人を”守り”に入らせてしまうと思うので、結果的に自分で前提条件を作ってしまって、それに縛られているのではないだろうかって思う訳です。で、自分も社蓄というわけです。背景力おそるべし。

かと言って、「ナリワイをつくる」みたいなことはすぐには出来ないですが、ちょっと自分の過去の趣味を振り返って、そこで何かしらの変化を起こすことを日頃から考えるのはいいかなって思いました。

そういう気持ちで本棚を眺めなおしてみると、一番多い本は岩合光昭さんのねこ関係の本ですね。特に「ねこ」は岩合さんの写真展で頂いたサイン入りです。私は猫の写真はほとんど撮ったことがない(撮れたことがない)のですが、生来の猫好きからか、岩合さんの写真集を沢山もっていることに改めて気が付きました。写真に凝った時期があって、そういうところからの繋がりです。そういえば押入れには10年ほど前くらいまで撮り貯めたポジスライドが沢山眠っています。

もう一度カメラ、レンズと三脚を持って街にでてみようかしらん。

2014年7月10日 (木)

背景の力

以前紹介したアイデアの力で述べているように、印象(記憶)に残り、行動を起こさせるメッセージを発信することが重要であることは間違いないと思います。記憶に残すには、予測回路を破壊する。つまり、意外性が重要ということですね。行動を起こさせるにも、司令官の意図で表現される、いわゆる行動原則的な指針を、メッセージに組み込む必要があります。これは納得です。
この考え方をベースとして「急に売れ始めるにはワケがある」を紹介したいと思います。

ここで特にスポットライトを当てたいのは、背景の力です。「割れた窓理論」とは、一枚の割れた窓を放置しておくとその環境がどんどん悪化していき、割れた窓とは一見無関係な状況(その一帯が犯罪地区になる)にまで発展するという考え方です。

割れた窓理論は結構ナットクで、例えば放置自転車があれば、その自転車カゴにゴミが入れられ、一つ入ったままで放置されていると、次々とゴミが投げ入れられ、気が付いたら放置自転車の周りはゴミだらけみたいな状況を見たりします。普段そんなことをしない人にも、ゴミが入った放置自転車のカゴがゴミ箱に見えてしまうのでしょうね。 

更に、ちょっとした条件設定で人の行動を左右することが可能であることも述べています。たとえば、普段から慈善の精神を追及している人(本では神学生)も「時間がないよ」というだけで、瀕死の人を見捨てる場合があると。この本から引用すると、「行動の方向性を決めるにあたって、心に抱いている確信とか、今何を考えているかというようなことは、行動しているときのその場の背景ほど重要ではない」、となるわけです。

背景設定によって人の行動をコントロールできる。 これは結構使えそうで、使われた時は恐ろしいですね。

2014年7月 2日 (水)

過疎化と未来

先週末は長野に帰省して、親孝行。土曜日の昼から初めて月曜日の午前中までかけて、家の周りの植木の剪定。親が長年かけて植えてきたもので、結構な数になっていると同時に大きく育ってしまって、年寄には手が附けられない状態になっています。

老人ばかりの世帯は珍しくなく、近所には若い人はあまり居ません。たまたまこの村には石川島播磨(IHI)の工場があるのでそこで働くことができますが、仕事をする場はとても限られています。

実際、周りの町村をみても大きな産業があるわけではないので、この地域一帯のお金の流れは細く、支えることができる世帯数は自ずと限られてしまいます。

今から20年以上前、インターネットが普及しはめたころ(Internet Magazineが創刊されたころ)、ひょっとしたら田舎でも起業できるのではないかと思って、いろいろ検討したことがありました。結果的に高額の通信費ゆえに困難との結論に当時は達しました。

最近「神山プロジェクト」を読みました。徳島県神山町のTransformationの話です。読み終わった後、変化は熱い情熱を持った人々と環境(例えば通信インフラ)が必須で、その上で行政などその活動をサポートする動機(地域活性化など)の存在が必要であるとの感想を持ちました。 

私の田舎でも同様の事ができるだろうか?と思いながら読んだわけですが、恐らく私の田舎との決定的な違いは住民の気質かもしれません。一般に田舎(私の知る生まれ育った範囲内ですが)は閉鎖的で保守的な傾向がある印象を持っています。それに比べて徳島は遍路さんを受け入れる気質、言い換えれば常に余所から来た人たちが往来し、ただその目的が分かっているので広く受け入れる、そういった特性を持っているだろうと思ったわけです。

やはりIT技術だけでは田舎で新たに雇用を作り出すことは難しい。。。とうことでしょうか。

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