過疎化と未来
先週末は長野に帰省して、親孝行。土曜日の昼から初めて月曜日の午前中までかけて、家の周りの植木の剪定。親が長年かけて植えてきたもので、結構な数になっていると同時に大きく育ってしまって、年寄には手が附けられない状態になっています。
老人ばかりの世帯は珍しくなく、近所には若い人はあまり居ません。たまたまこの村には石川島播磨(IHI)の工場があるのでそこで働くことができますが、仕事をする場はとても限られています。
実際、周りの町村をみても大きな産業があるわけではないので、この地域一帯のお金の流れは細く、支えることができる世帯数は自ずと限られてしまいます。
今から20年以上前、インターネットが普及しはめたころ(Internet Magazineが創刊されたころ)、ひょっとしたら田舎でも起業できるのではないかと思って、いろいろ検討したことがありました。結果的に高額の通信費ゆえに困難との結論に当時は達しました。
最近「神山プロジェクト」を読みました。徳島県神山町のTransformationの話です。読み終わった後、変化は熱い情熱を持った人々と環境(例えば通信インフラ)が必須で、その上で行政などその活動をサポートする動機(地域活性化など)の存在が必要であるとの感想を持ちました。
私の田舎でも同様の事ができるだろうか?と思いながら読んだわけですが、恐らく私の田舎との決定的な違いは住民の気質かもしれません。一般に田舎(私の知る生まれ育った範囲内ですが)は閉鎖的で保守的な傾向がある印象を持っています。それに比べて徳島は遍路さんを受け入れる気質、言い換えれば常に余所から来た人たちが往来し、ただその目的が分かっているので広く受け入れる、そういった特性を持っているだろうと思ったわけです。
やはりIT技術だけでは田舎で新たに雇用を作り出すことは難しい。。。とうことでしょうか。
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