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2018年5月 5日 (土)

57歳の誕生日

今日で57歳となりました。
 
57番
 
お昼に奥さんとスシローに行ったのですが、通されたテーブルが57番。
70近くテーブルがある中で、う~ん、こういう事もあるんだぁ。
だからって何かイイ事がある訳ではないけれども、何かしら偶然を感じます。
Dsc_3214
 
その後、日産ディーラーにメンテナンス無料クーポン券を使いに行きました。
これはウチのX-TRAILが完成検査問題(無資格者による完成検査)対象だったことによるお詫びクーポンなのですが、これでフロントウインドウ撥水加工をしてもらいました。
で、行く途中の信号で止まった交差点名が「庚申塚」。庚申塚っていろんな所にあるけれど、それって一体なんだろう?と思いながらディーラーに到着し、直ぐにネットで調べました。
Wikipediaによると、、、

庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。

庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜[1]寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。

庚申塔の石形や彫られる仏像、神像、文字などはさまざまであるが、干支で猿に例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多い。仏教では、庚申の本尊は青面金剛とされるため、青面金剛が彫られることもある。神道では猿田彦神とされ、猿田彦神が彫られることもある。また、庚申塔には街道沿いに置かれ、塔に道標を彫り付けられたものも多い。さらに、塞神として建立されることもあり、村の境目に建立されることもあった。

「庚申」とは干支(かんし:十干と十二支を組み合わせた60周期の数詞の中)で、これもなんと57番目。再びに57に遭遇しました。
だから何なんだってのもありますが、偶然に2度も57に遭遇したという訳です。
 
カーネーション
 
その後、近所の花屋さんでカーネーションポットを買いました。
来週日曜日は母の日。いろいろな気持ちを込めて、写真の前に飾りました。
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でも、なぜ母の日にカーネーション?そもそも母の日って何だろうっということでWikipediaによると、、、
1916年ノーザン・パシフィック鉄道による母の日のポストカード

アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービス(Ann Jarvis)の活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。

ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナ(Anna Jarvis)は、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる[1]

アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908年5月10日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。

1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められた[2]

日本ではアメリカに倣ったとのことでした。
 
 
菖蒲
 
特に香りがするわけでもなく、何に効能があるかよくわからないけれども、毎年この日には菖蒲を湯船にいれています。息子が小さい頃は、この菖蒲の葉を鉢巻のように頭に巻いたりしました(特に意味があってやっていた訳ではないけれど)。
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これもWikipediaを見てみると、、、

江戸時代、武家社会で菖蒲と尚武をかけて5月5日を尚武の節日として祝うようになったのが端午の節句の始まりだと言われ、その結果、今日でも5月5日には菖蒲湯に入る習慣が受け継がれているのだという[2]

菖蒲湯の歴史は遡ると長い。中国の古い歴史にまで遡るとする文献もある[3]

そもそも、菖蒲は昔から病邪を払う薬草だと考えられていた[4][5]。中国の書物『荊楚歳時記』(けいそさいじき、6世紀宗懍が著した中国最古の年中行事記)にも、古くから中国の人々が長寿や健康を願って菖蒲を用いていたと記されている[6]。昔から端午の日というのはからへの変わり目と考えられていた。そして季節の変わり目というのは体調を崩しやすいものだと見なされている。端午の日には、菖蒲酒、菖蒲湯、菖蒲刀など、菖蒲を用いる習俗が多い[7]

 

ということで、こんな感じの57回目の5月5日となりました。

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